私はこのたび、慶應義塾体育会相撲部のOB会会長に就任した木下です。
自分は、普通部2年の時から入部し、大学卒業まで9年間、相撲を続けました。 卒業後、北海道の鉱山に勤務した時も、地元の青年たちと一緒に稽古をしたり、試合に出たりして、親しんできました。塾相撲部の監督も務めました。
相撲は、文字通り裸の戦いですが、礼に始まって礼に終わるという古来の精神があります。また、相撲の用語には、人が生きていくうえで大切な教えの意味が含まれています。たとえば、「脇を締める」「腰を入れる」「ダメを押す」「あごを引く」「押し切る」など社会で仕事をしていくうえでも、忘れてはならない言葉があります。
いま、個性の時代といいますが、個性とは、まずは基本を習得したうえで、自分の体や特性にあった技を磨いてこそ、発揮されるものと思っています。基本は下半身の鍛錬をして、押しの力をつけ、激しい立ち合いのぶつかり合いに堪えるだけの体の力をつけることです。こうしたことは、稽古によって必ず誰もが身につけられます。
自分は小柄でしたので、ずいぶん苦労しました。大学の4年になってはじめて選手として団体戦に出場できましたが、体育会本部の委員をしていたこともあって、他の柔道、 剣道、蹴球、アイスホッケーなど各部が、いかに練習を通じて、試合で結果を出していくかを間近でみてきました。宿命のライバルは早稲田でしたし今もそうです。早稲田に勝つ、このことが一つの目標でした。そうした各部の友人は、卒業して四十六年を経た今も変わらぬ自分の宝となっています。他校の友人も同じ道で戦った貴重な宝です。
小泉信三先生は、かつて塾長も務められましたが、先生のことばに be a great fighter And be a good loser という言葉があります。一言でいえば、スポーツマンシップということでしょうが、もっと深い意味があるように思います。
戦うにあたっては、猛獣のごとく襲いかかる闘志をもって挑み、戦い、負けたときには潔き敗者となれ、という教えです。塾の相撲部は大正8年の創部で、今年で95年の伝統があります。多くの先輩を輩出してきました。少数ですが、部員はみな家族的でよい雰囲気の中にあり、Aクラス入りを目指して稽古に励んでいます。必ずしも中学や高校で実績のあり選手がそろっているわけではありません。
部員である前に、塾生であれとの体育会全体の教えのもと、勉学を全うしたうえで、競技の練磨を目指さなければなりません。一人でも多くの塾生の諸君の参画を期待しています。三田綱町の道場に、お出かけください。
工夫のない練習に終わると折角の素材も伸びないで終わります。 基本を大事にした、しっかりした理論を持ち、合同練習、自主練習を一体化し合理的に推進し、慶応らしい相撲にレベルアップすることが目標です。 充実感、満足感を味わい、将来の三田相撲会会員として誇りが持てる様になると良いと思います。 これからの慶応相撲部のあるべき姿をみなさんで構築していきましょう。
日本人の心のスポ−ツではないか? 何が日本人を引き付けるのか?
世界中どの国にも,道具(武器)を持たずに裸で戦う相撲=レスリングはあります。人間の戦う本能でしょう。しかし,丸い円を描いて,相手をその外に押し出す事によって勝利する相撲は日本独自の物ではないでしょうか? 土俵の直径も江戸時代は13尺(3m94cm)でしたが,1931年(昭和6年)の天覧相撲から現在の15尺(4m55cm)になりました。一度だけ16尺にしましたが,現在の15尺に戻りました。昨今,体格の大幅な向上から15尺を大きくする案が出ましたが,相撲の醍醐味を失うとの意見から立ち消えとなりました。何故13尺から15尺にしたのか? 又15尺の言われはわかりません。知っている人がいたら教えてください。
他の競技は全て相手をねじ伏せる事によって勝利するスポ−ツです。勿論,日本の相撲にも相手を投げ,ねじ伏せるという事での勝利もあります。しかし,原点は押し出しです。この単純な円からの押し出すという事から,単純でない色々な技術,精神力が生まれるのではないか。これが日本人に受ける一つの理由ではないか。
私は生まれながらにして,相撲が好きでした。残念ながら大学ではじめました。少しは自信が有りました。しかし,高校チャンピオンの野村と相撲して,なんて強いのかと思いました。その野村が中尾先輩に勝てない。その中尾先輩がプロの春日野部屋の幕内に勝てない。その幕内が役力士に勝てない。その役力士が横綱に勝てない。横綱て,どんなに強いのか? と思いました。我々はプロの相撲取りではありません。長い人生の一時期を相撲と言うスポ−ツで身体と,精神を鍛えるのです。プロを目指す人は別です。実社会に出て,体力がなければ幾ら優秀な頭脳でも,期待に添えません。ノ−ベル賞は別です。しかし,ノ−ベル賞も取るまでの研究期間は体力でしょう。どうか,学生の皆さんは身体と精神を鍛えて下さい。そして,社会人として,さすが慶応相撲部出身と言わせて下さい。
立会いの1〜2秒で勝負が決まる競技。重量とスピ−ドを掛けたものが破壊力と言われ,悪戯に重量を付ける最近の傾向,塾の学生はどうかスピ−ドと技術を重視して下さい。立会いの一瞬の前さばき,まわしを取られた時のきり方,差し手の返し方,おっつけ,土俵際での腰の落とし方,スリ足等々単純に見える競技の中での一瞬の技術です。考えて出来る事ではなく,練習の結果,身体で反応するものでしょう。心・技・体です。しかし,全てがスポ−ツ力学に合ったものです。
日本の将来は皆様の双肩に掛かっています。私は仕事柄,世界を歩き回っています。体力です。そして,日本人としての誇りと,自信を持って,その上に塾出身の誇りを持って下さい。相撲はやっていて良い運動です。
一世を風靡した「栃若時代」。私は小学校以来、大の栃錦ファンだったが、1960年岸信介内閣のもと「アンポ(安保)反対」闘争が吹き荒れる中での全勝同士の両横綱の力相撲は今でも鮮明に記憶している。この直後、慶応義塾普通部から慶応義塾高校に進学し、迷うことなく相撲部に入部した。宮城野部屋の有力な後援者だった作家・北條誠さんのご子息が相撲部だった縁で何度か宮城野部屋に行き稽古?をつけてもらったり、チャンコ鍋を一緒に食べたりと懐かしい思い出がいっぱいだ。後年、毎日新聞社編集局の飲み会でチャンコ料理屋「宮城野」の土俵で、1勝1負の悔しい勝負をした相手がまだ若かった敏腕記者だった朝比奈豊・現社長だったのも何かの縁だろう。
慶応義塾高校で全生徒の投票によって生徒会長を選ぶ「会長公選制」の第1回選挙で私は副会長に当選した。その後、2期会長に当選して、念願だった小泉信三先生の講演会を開催した。会長、副会長とも体育会相撲部推薦で、私の後任の会長に当選したのも、相撲部1年後輩の早山隆邦だった。つまり慶応義塾高校の歴史的な新生・生徒会の初期は相撲部が担ったという強烈な自負がある。
私は大学2年で経済学部から法学部に転部し1967年に卒業した。同期生は、小泉純一郎、小沢一郎の両巨頭に、公明党代表代行だった浜四津敏子、麻生太郎内閣の官房長官だった河村建夫、厚生族の「ドン」と呼ばれた丹羽雄哉元厚労相らだ。一期下が中曽根弘、小坂憲次だった。浜四津さんは、「早稲田の吉永小百合、慶応の高橋敏子(旧姓)」と呼ばれるほど男子学生には人気があった。
日本は、幕末・維新、敗戦・復興に次ぐ「第三の転換期」であり、新しい体制への産みの苦しみの時期でもあるが、「失われた30年」に突っ込む気配が気になる。世界も「新世界秩序」構築に向け同時進行で混迷時代に入り、地球規模での構造転換が起こり、中国、インドなどの新興国の台頭、相対的な日本の経済力の低下が続いている。良くも悪くもこの20年間の分析と統括が欠かせないと思う。
私が相撲部に入って心から良かったこと、それを少しでも多くの塾生にも自分のモノにしてもらいたいと思います。 自分の肌で感じたり、自分の頭で考えることが、できるようになったこと。 痛い、苦しい、嫌だ、面白い、嬉しい・・。 何がホンモノで、何がそうでないかを知り得たこと。 世間と違う異論を持つことに気付き、又それを発信するかどうかは別の問題とも学習しました。 礼儀の重要性。生きて行くために、利に叶う。 友人を得た。 瞬間の判断能力の大切さ。 感動を体験した。 一般的な体育会的気質を身につけ女にも男にも、もてるようになった?(笑)。
相撲部での体験は卒業してからも、大いに役立ちます。 心・技・体を高めるための努力や先輩・後輩との交流は貴重な財産です。これは小生だけでなく塾相撲部OBの 多くが実感していることです。
サウジアラビア・リヤドに丸紅支店長として駐在している昭和57年卒の品川です。因みに中東畑で、イラン、サウジ(オマーン兼務)に駐在経験あります。相撲部で養った精神力で最高気温50度近くの過酷な気候でも耐える事ができ(なお宗教上、飲酒禁止)、在部した事に感謝の気持ちが一杯です。
当地に出張された日揮(株)社長の川名浩一(昭和57年卒)にも拙宅で歓談して旧交を温めています。
又リヤド三田会がありサウジ人の塾出身者や塾体育会出身の他社駐在員・奥様もおり改めて絆を感じる次第です。
相撲を始めるにあたり、マワシ(いわゆるフンドシ)に抵抗感を覚える人もいるのではないでしょうか。相撲の普及拡大のために「相撲パンツ」というものが考案されました。 運動着の上に装着すれば準備OKの優れモノです。慶応大学でも体育実技が必修科目であった時期に、相撲を選択した学生は相撲パンツで授業を受けました。 石黒堯(昭和42年卒)三田相撲会副会長によると早稲田大学相撲部は相撲パンツで試合に出場したこともあるそうです。 新入部員には、新品の相撲パンツをプレゼントします。
私が相撲に関心を抱いたのは小学生の頃で、当時小結であった魁皇関が初優勝した場所をテレビで観て感動した記憶が鮮明にある。しかし、相撲は体格に恵まれた人のスポーツという先入観を持っており、相撲をする入口に出会うことも無く、まさか自分が相撲に挑戦するとは考えもしなかった。上記のように相撲と直接関わることのなかった私ではあったが、大学で塾相撲部と出会い、入部を決意した。入部当初は60キロにも満たない体重であり、正直何かとハンデは存在した。しかし、体重別選手権で実績を残すという明確な目標を持つことによって、日々の稽古は大変充実したものになった。
また、他のスポーツと比べて部員の数が少ないことからOBも含めて人間関係が非常に密であり、皆が家族のような存在であった。先輩方の熱心なご指導の下私は東日本体重別選手権準優勝、全国ベスト8という成果を残すことができたが、学業面でも就職活動をはじめ何かと面倒を見て頂き、相撲部での活動を通じて多くの財産を得ることが出来た。塾相撲部を引退し、現在私はJRAで働いている。入社から半年が経ち、未だ社会人として未熟な部分もあるが、塾相撲部時代に年の離れた先輩と話し合いを重ねてきた経験が現在でも活かされている。幾度なく自分の可能性を試される機会があり困難なことも多くあるが、そのような時にこそあの時準優勝した自分に恥じないよう懸命に取り組もうと心がけている。
私は相撲部員として充実した毎日を送り、主将としても部の運営をやり遂げたことで、人生に一度の学生生活に思い残すことは何もなく、今後社会人として働いていく上でも大きな自信を得ることができた。塾相撲部には素晴らしいOBの方々から多くのことを吸収し、肉体的にも人間的にも成長できる環境がある。トーナメントで一発勝負という難しさもあり、自身が優勝することは最後まで出来なかったが、近い将来後輩たちが私の夢を実現すると信じている。
塾相撲部から初の全国体重別115kgs未満級ベスト8となって、そして社会人となって貪欲と謙虚…私が大学で迎えたターニングポイントのキモはこの2語に集約されます。また、表題の実績は、客観的な評価は別にして、個人として最大限出し得た戦果だと考えています。私は小学校から相撲をはじめ、高校まで程々の実績を積んできました。が、大学に入ると状況が激変。高校は選手の技量・やる気ともピンキリでしたが、大学は高校時代一定の実績を積んだ猛者ばかり…あまり求めずとも出ていた結果が、出なくなりました。特にこれを強く感じたのは大学2年の東日本リーグ。心身とも充実した中で臨んだ試合で、結果は前年と同じ1勝(7戦中)…先が思いやられました。振り返ると、この際初めて相撲への取り組み方を冷静に見直しました。そして初めて結果に対して「貪欲さ」を持ちました。すると徐々に実績は上向き、4年時にはそれを買われ主将を務めることになりました。
欲を持つことで、勝利への執念はもとより、一瞬の集中力が磨かれました。しかしまた新たな壁が…。奇しくも舞台は同じ大会。私は前年(3年時)6勝をあげましたが、この年は4勝、チームも2部から転落…。引退まで2月を切っていました。原因が分からずにいた中、私はある些細な事務上のミスでチームに重大な迷惑をかけます。この時、ふと気付いたのです、自分が「独りよがり」になっていることに。自分一人で実績を築いたという勘違い、相撲への感謝の欠落があったことに。迎えた体重別。私はこの大会でベスト8になることを「欲を持った」時期から目標に掲げていたものの、実現は難しいと考えていました。だからこの千載一遇の機会を絶対ものにしたい…大会の予選突破後はそう考えました。が、試合直前の心境は違いました。只管勝ちたいではなく、1秒でも長く土俵に居させてほしい、1戦でも多く試合をさせてもらいたいという「謙虚な」気持ちになったのです。結果的にこれが良い効果を生み、冒頭の戦果につながりました。卒業後、私はTBSテレビという会社に入社。本年7月まで営業、現在はスポーツ制作に携わっています。社会に出ても当時と同じく目標に向かって貪欲に、時に省みながら日々精進しています。
私は理工学部ですが、授業と稽古が重なる場合は授業を優先します。ロボットの研究ができる第一希望の機械工学科に進学できました。相撲は瞬発力を鍛えるスポーツなので、練習時間は他のスポーツと比べて短いと思います。
経験者、未経験者は問いません。いつでも道場にお越しください。
私は塾相撲部に4年間、お世話になりました。この4年の間に私は「3つの宝」を学びました。
1つ目は、「感謝の気持ち」です。指導してくださる先生方、応援してくださる皆様、育ててくれた両親、等々全ての要素が成り立って初めて我々は部活動に打ち込むことができます。特に最終学年の時は部活動運営もさせていただいておりましたので、裏でたくさんの方が動いてくださっていることを自分の目で見ることが多々ありました。また私の引退試合には、体育会の仲間が何十人も国技館まで応援に駆け付けてくれました。普段当たり前のように稽古をし、試合に出る中で、このようなことを思い出し感謝する姿勢が何より大事だと、私は強く感じました。それが部活動のいいところであり、「礼に始まり礼に終わる」相撲の基本であると考えます。
2つ目は、「考えて行動すること」です。弊部には素人出身の選手が多数います。また高校時代高い実績を誇る選手は1人もいません。その中でAクラスの強豪校を倒すためには、ただ稽古をしたのではとても勝てません。ポテンシャルの高いチームを倒すには、差別化を図らなければなりません。その1つが、考えて行動することです。常に長期、中期、短期の目標を掲げ、そのために必要なことを各自が考え、稽古に活かすことが重要です。そうすることで1つ1つの稽古に意味を持たせることができ、高い質の練習ができます。私は大学3年までそれを実行することができませんでしたが、最終学年の時ようやく実行し、ようやく格上のチームを倒すことができました。
3つ目は、「謙遜と慎みの心」です。人よりも秀でるものがあるからと言って横柄になってしまってはそれ以上の成長はありません。人間的魅力もありません。相撲という武道を通じ、それを学び社会で活躍されている先輩方が弊部にはたくさんいらっしゃいます。そのような方々を見て、私はこれを学びました。
これらのことは、頭でわかっていてもなかなか実行することはできません。1つ大きな勇気と覚悟を持ち、実行することで人としての徳が積まれ、最終的には結果に表れることと思います。この「実学」を学ぶことのできる相撲部は、素晴らしい環境が整っていると感じています。