遠野哲史(平成22年卒)

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東日本体重別選手権準優勝、全国ベスト8という成果を残すことができた

60キロにも満たない体重だが体重別選手権で実績を残すという明確な目標

私が相撲に関心を抱いたのは小学生の頃で、当時小結であった魁皇関が初優勝した場所をテレビで観て感動した記憶が鮮明にある。しかし、相撲は体格に恵まれた人のスポーツという先入観を持っており、相撲をする入口に出会うことも無く、まさか自分が相撲に挑戦するとは考えもしなかった。上記のように相撲と直接関わることのなかった私ではあったが、大学で塾相撲部と出会い、入部を決意した。入部当初は60キロにも満たない体重であり、正直何かとハンデは存在した。しかし、体重別選手権で実績を残すという明確な目標を持つことによって、日々の稽古は大変充実したものになった。

塾相撲部時代に年の離れた先輩と話し合いを重ねてきた経験が現在でも活かされている

また、他のスポーツと比べて部員の数が少ないことからOBも含めて人間関係が非常に密であり、皆が家族のような存在であった。先輩方の熱心なご指導の下私は東日本体重別選手権準優勝、全国ベスト8という成果を残すことができたが、学業面でも就職活動をはじめ何かと面倒を見て頂き、相撲部での活動を通じて多くの財産を得ることが出来た。塾相撲部を引退し、現在私はJRAで働いている。入社から半年が経ち、未だ社会人として未熟な部分もあるが、塾相撲部時代に年の離れた先輩と話し合いを重ねてきた経験が現在でも活かされている。幾度なく自分の可能性を試される機会があり困難なことも多くあるが、そのような時にこそあの時準優勝した自分に恥じないよう懸命に取り組もうと心がけている。

私は相撲部員として充実した毎日を送り、主将としても部の運営をやり遂げたことで、人生に一度の学生生活に思い残すことは何もなく、今後社会人として働いていく上でも大きな自信を得ることができた。塾相撲部には素晴らしいOBの方々から多くのことを吸収し、肉体的にも人間的にも成長できる環境がある。トーナメントで一発勝負という難しさもあり、自身が優勝することは最後まで出来なかったが、近い将来後輩たちが私の夢を実現すると信じている。

tono60キロにも満たない体重だが体重別選手権で実績を残すという明確な目標
遠野哲史(平成22年卒)JRA日本中央競馬会 東日本体重別選手権準優勝

shinagawa相撲部で養った精神力で最高気温50度近くの過酷な気候でも耐える事ができる
品川豊(昭和57年卒)丸紅支店長 サウジアラビア・リヤド駐在

tono塾相撲部時代に年の離れた先輩と話し合いを重ねてきた経験が現在でも活かされている
遠野哲史(平成22年卒)JRA日本中央競馬会 東日本体重別選手権準優勝

mishima自分のモノにしてもらいたいこと
三嶋明(昭和44年卒)元パナソニック

hayashi近隣の子供たちを集め、毎週日曜日に相撲クラブを開催しています。
林健太郎(昭和61年卒)慶応義塾相撲部コーチ

katsuki心・技・体を高めるための努力や先輩・後輩との交流は貴重な財産
香月則一(昭和47年卒)三田相撲会総務委員長 元損保ジャパン

hayashi常に頭で考えて体力と知力との融合で相撲をとってほしい
林健太郎(昭和61年卒)慶応義塾相撲部コーチ

kishii相撲、そして政治・経済の混迷
岸井成格(昭和42年卒)毎日新聞社 主筆

iizuka「相撲部から得た3つの宝」
飯塚大河(平成27年卒) キリン株式会社慶應義塾體育會相撲部  平成26年度主将

nomurainji国技である相撲を語れる人に育ってほしい
野村殷司(昭和37年卒)三田相撲会前会長 元明治安田生命

nagashima授業と練習が重なる場合は授業優先
長島大典(理工学研究科)慶応義塾大学理工学部(平成25年卒)

muraji「相撲パンツ」というものがあります
連哲朗(昭和54年卒)株式会社ミクニ

kubo日本テレビ「世界一受けたい授業」 に出演
久保明(昭和54年卒)東海大学医学部教授 慶応義塾相撲部チームドクター 

nara相撲は最も実戦的で強い競技、鍛えた体は筋肉の塊で柔軟性に富む
奈良文彦(昭和57年)慶應義塾相撲部特別強化担当コーチ

murai塾相撲部から初の全国体重別115kgs未満級ベスト8
村井諒(平成21年卒)TBSテレビ

noda「相撲てなんだ」
野田謙一(昭和37年卒) 碌々産業株式会社 代表取締役

nara練習時間は他競技と比べて短い
奈良文彦(昭和57年)慶應義塾相撲部特別強化担当コーチ

matsuda心技体の向上を支援します
松田剛(平成11年卒)慶應義塾相撲部監督

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